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青色の空に神様がきた

Twitterの140字では書ききれないあれこれを。ブログに述べられている考察は、あくまで筆者のブログ執筆当時の考えであり、当然ながら日々勉強したり議論したりする中で考えが変わることもあります。また、このブログはいち大学院生の個人ブログであり、いかなる機関の公的見解を示すものでもありません。

大学卒業のご報告(と雑感)

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 フェイスブックより先にブログを更新するところが、わたしらしいですね(笑)

 タイトルの通り、無事に東京外国語大学を卒業して、大卒資格(学士号)を手にしました。

 わたしはこれから修士課程に進むので、(結果的に)学士は通過点に過ぎないような印象を与えていると思います。あえて教育社会学の専門用語を使うならば、日本は「高等教育のユニバーサル段階」と言って、高等教育進学率が50%を超える社会です。学士号を手にすることは決して難しくないし、むしろ(少なくとも、東京や大阪などの大都市圏では)「お金さえ払えれば誰にでも」の状態にあるとさえ言えるでしょう。

 

 それでも、わたしにとっては欲しくて欲しくてたまらなかった学士号でした。

 

 以前にも何度かブログに書きましたが、わたしは高校卒業後に現役で東京理科大学の物理学科に進学したものの、主に学業不振が理由で(他にも理由はあるけれど)中退に追い込まれました。19、ハタチくらいの若者にとって「大学中退」は「人生終わった」と思うには十分すぎる出来事です(今なら、そんなことないってわかるけどね)。

 だからこそ、四年制大学をきちんと卒業することは、理科大を中退したときからの悲願でした。病気も抱えながら、大学中退から人生を建て直し、大学卒業を達成できたことは、わたしにとっては大きな意味を持ちます。ひょっとしたら、この後に続く修士号よりも、わたしにとっては学士のほうがずっと思い入れの強いものになるような気もしています。

 

 わたしの、この6年間に関わりを持ってくださったすべての皆様に心より深くお礼申し上げます。皆様のご恩に報いることができるよう、これからも日々努力してまいります。

運命を司る人智を超えた存在って居ると思う

 まいどブログのタイトルをつけるのが下手で申し訳ありません。怪しい宗教の勧誘ではありません。

 

 少し前だけれど、永田カビさん作の『寂しすぎてレズ風俗に行きましたレポ』と『ひとり交換日記』を読んだ。永田カビさん自身の経験をもとにしたエッセイ漫画で、誤解を恐れずに言うならば、前者は毒親育ちのメンヘラがレズ風俗に行くまでの経緯を書いた漫画で、後者は毒親育ちのメンヘラがいかにして自立したかを書いた漫画だ。

 

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

 

一人交換日記 (ビッグコミックススペシャル)

一人交換日記 (ビッグコミックススペシャル)

 

  わたしは漫画家ではないけれど、色々と共感することが多く、Kindleで2冊とも購入して3回も読んでしまった。

 

 さて、ここからが本題だ。

 ツイッターでこの漫画の感想をながめていたけれど、賛否両論で、「わかる」という意見もあれば「作者クズすぎるだろ」というものもあった(ちなみにわたしは圧倒的に前者だ)。そして、ツイッターで見つけたこの漫画の感想の中で、心にチクリと刺さるものがひとつあった。それは(元ツイートを探し出せなくて残念なのだが、削除されてしまったのかもしれない)要約すると「親と確執があるのに実家に住み続けなきゃいけない人は大変だよな。自分が(親のせいで)メンタル病んでるのわかってるのに、どうして食えない職業(=マンガ家)目指すかな?」という内容のツイートだった。

 永田カビさんがマンガ家を目指すようになった経緯は本編中に出てくる。永田カビさんは元からマンガを描くのは好きだったらしいが、あまりにも親に「正社員になれ」と圧力をかけられるので、ついに正社員になるべく就活を始める。しかし、面接のたびに「あなたが本当にやりたいことはなんですか?」と聞かれ、そのたびに正直に「本当にやりたいことは、たぶんマンガです」と答えてしまう。あげく、面接に行ったパン屋さんで(永田カビさんはパン屋で長くバイトをしていたので、就活のときもパン屋で正社員を目指した)、面接官のお兄さんに「さっきまで、なんとなく来ちゃったけどどうしようという感じだったけど、マンガの話してるときだけは目がキラキラしてたよ。マンガがんばりなよ!」と言われてしまう。

 

 この、「社会的に見たら決してよい方向ではないにしても、ある特定の仕事や生き方にどうしようもなく引き寄せられてしまう」感覚がとてもわかるのだ。

 

 ここからはわたしの話をする。わたしは5,6年くらい前からずっと「研究者になりたい」と思っていた。だけど、何年か社会人経験をしてから大学に戻る人はたくさんいるので、わたしも一度は就職して、それで何年か経ったら大学に戻って研究者になろう、と思っていた。

 だから、大学3年の夏頃には普通に就活をしていた。そして、大学3年の夏休みに、ある会社で(中)長期インターンをした。そこでわたしは実力を認められ、具体的な役職名は会社がバレるので伏せるけれど、仕事を教えてもらった直属の上司に「ウチの新入社員より仕事ができる」と褒められ、仕事のあとの飲み会ではポジションで言ったら副社長くらいの人に「君はウチに来なさい」と言われ、その副社長が人事のひとに直接「この子はウチに来るから」と耳打ちしているところもこの目で見て、別の社員さんには「本音を言えば今すぐウチで働いて欲しいけど、会社を決めるって一生のことだから、このインターンを恩義に感じることないからね」という気づかいの言葉までもらった。

 

 そこまで言われた会社を、3次面接で落ちた。

 

 長期インターンしたその会社に受かるだろうけど、万に一つ落ちるってこともあるかもしれないから、いちおう人並みに就活しておこう、くらいの気持ちでいた。だけど、就活していたときのわたしはなぜかボロボロだった。肌は荒れ放題、気持ちは常にイライラして、最後には生理が止まった。

 

 そして、その会社からの不採用通知を受け取った次の日に、HSK6級(中国語版TOEFLみたいなヤツのいちばん難しい級だ)の不合格通知が届いた。

 

 わたしは元々HSKの6級を持っていた。だけど、それは外大の編入試験を受けるために短大の2年のときに取得したものだったので、HSK6級の有効期限(2年)があと少しで切れてしまう、と思って再度受験した。再度受験したら落ちた。

 

 いきなりこんなことを言うと「頭が変になった」と思われるかもしれないが(実際変なのかも知れないが)、わたしは神様っていると思う。そしてそれは別に「神様」じゃなくて「運命を司る人智を超えた存在」という呼び名でもいい。わたしには「神様」がしっくりくるので、ひとまず「神様」と呼んでおく。

 

 長期インターンした会社に落ちたとき、もう就活は辞めて大学院に行こうと思った。けれど同時に、今している中国(香港)の地域社会研究を続けることにも強い違和感があった。自分はそんなに中国語が好きではないし、中国研究で修論が書けるとも思わなかった。その話は、「大学院合格によせて」にもう少し詳しく書いたので、そちらへどうぞ。

koyukisdec20.hatenablog.jp

 

 幾重にも重なる体調不良と、自信のあった会社の不採用通知は、「君が進む道はそっちではないよ」という神様からのメッセージに思えた。そして、HSK6級の不合格は、「君が進むべき道は中国研究ではないよ」というメッセージに思えた。

 そうして、大学院には行きたい、だけど中国研究は続けたくないから外大の大学院には行けない、さてどうしよう、というわたしの「真にやりたいこと探し」の旅が始まる。数ある「中国研究ではない分野」の中から、なぜ教育社会学を選んだかというのは、長い話になるので、また今度。

 

 ともかく、永田カビさんのマンガの話に戻ると、永田カビさんだって、経済力がないから実家に住み続けないといけない自分に、そして独立したいなら正社員にならなきゃいけないのに何故かそれができない自分に、誰よりも自分自身がいちばん苛立ちを覚えていたと思うのだ。だけど、永田カビさんはどうしようもなく「マンガ家」という仕事に引き寄せられてしまって、それはほとんど「どうしようもない引力」と言ってもよいようなものだと思う。

 そして、わたしも同じように「研究者」という仕事に、あるいは「大学院」というものに、どうしようもなく引き寄せられていると感じるのだ。ちなみに大学院を受けると決めてから肌荒れは嘘みたいに改善したし、生理も再開した。

 

 インターンで実力を認めてもらえた会社に落ちたのは、わたしが気づかなかっただけで、面接でなにか言ってはいけないことを言ったのかもしれない。HSK6級に落ちたのは単なる勉強不足で、肌荒れも生理が止まったのも単に体調管理がなってなかっただけかもしれない。

 でも少なくとも、わたしはそうして導かれた今の進路に心から満足しているので、ひとまず神様はいることにしておこうと思う。

東京外大の3年次編入を受けたいと思ってる君へ

 ツイッターで東京外大の3年次編入を受けたいと思っている人に、フォローされたりDMで質問を受け取ったりすることが多いので、いちどまとめておきたいと思います。

 

 まずみんなが気になる倍率ですが、表にまとめてみました。自分が追いかけた過去3年を、表にしたものです。

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 続いて、よく受ける質問です。

⑴過去問は入試課の窓口で閲覧できます。

⑵語学のレベルについては、CEFR(Common European Framework of Reference for Languages)のC1レベルを目安にするとよいと思います。しかし、最重要視されるのは「入学後どんな勉強をしたいか」なので、あくまで目安です。

⑶面接の内容は、ゼミによりけりです。

⑷わたしは塾や予備校には行ってません。

⑸入学後は、留学に行ったり、教職を取ったりして、3年かけて卒業する人が半数くらいです。

⑹「入学後、友だちができない」ことを心配する必要はありません。

 

* * *

 

 同期や後輩がときどき、「3年次編入で入学したことを後ろめたく思う」ということを口にしているところを見ることがあります。「自分たち(1年生から東外大にいる子たち)は難しい入学試験を通ってきてるのに、裏口か勝手口かわからないところから入ってくるヤツが、ムカつかないわけないじゃん」――これは、わたしの編入の後輩が実際に口にした言葉です。

 3年次編入で入学したことを後ろめたく感じたことは、わたしにもあります。いちばんの理由は、料理店や語劇を経験していないからです。去年、外語祭のあとに知り合いの1年生に外語祭の感想を尋ねたら「あれはブラックバイト for 5daysだよ」と言っていました。料理店の店長をやっていた子に話を聞いたこともあります。外語祭の前後はみんな徹夜で作業すると聞いて、料理店や語劇を経験していないわたしに、外大生を名乗る資格はないな、と思うこともあります。

 それでも東京外大が3年次編入の試験制度を続ける理由はなんでしょうか?

 わたしは「多様性を確保するため」だと思っています。

「多様性」が東京外大の強みです。わたしが香港人とのハーフであることを打ち明けても、誰ひとり顔色ひとつすら変えない環境に出会えたのは、わたしは日本国内では東京外大が初めてです。留学生もたくさんいるし、多種多様な宗教やセクシャルマイノリティに対しても寛容です。それを勉強することこそが、東京外大の学生の仕事だからです。

 3年次編入で入学してくる生徒のバックグラウンドは、実に多種多様です。日本国内の4年制大学から編入してくる人もいるにはいるけれど、わたしみたいに短大だったり、専門学校だったり、海外の大学だったり、高専だったり。人種も、出身地も、経験も異なる人々が集まることが3年次編入の特徴です。

 料理店や語劇を経験してないぶん、1年生のときから東京外大に通っている人たちが気づかない視点を提供したり、違う経験をシェアしたりすることができれば、3年次編入の学生として受け入れてもらえた者としてのつとめはしっかり果たせたと言えるのではないでしょうか。少なくともわたしは、授業でも、ゼミでも、それがわたしの役目だと思っています。

 

* * *

 

 こんなことわざわざ書くまでもないのかもしれないけど、わたしは東京外大に入学できて本当に良かったと思っています。面白い授業をたくさん受けられたし、すてきな友人やすてきな先生に出会えたし、ここでしか得られない経験をたくさんできたと思っています。

 試験は年々難しくなっているけれど、ちょっとでもこの大学の扉を叩いてみたい気持ちがあったら、あきらめないで受けにきてほしいと思います。

 

* * *

 

 3年次編入学に関する質問は、公平性を期すためにaskで対応しています。でも、来年からわたしは東外大の学生ではなくなるわけだし、いつまで続けるかは決めていません。今のうちにどうぞ。

ask.fm

映画『永い言い訳』の感想と考察(※ネタバレ注意)

※ほとんど自分用メモなので文章が雑です。

・冒頭のシーンで、いきなり「奥さんが旦那さんの髪を、家で切っている」ということに対する違和感→あとで伏線回収。見事。

・登場人物たちの「髪が伸びる」ことが、「時間の経過」と「切ってくれる人の不在」のふたつの意味を持っている。深い。

・登場人物たちの職業の選択が見事。本木雅弘は小説家、竹原ピストルはトラック運転手、深津絵里は美容師で、そのすべてに意味がある。

・冒頭での妻に対する本木雅弘の「語り」と、山形の警察署に行ったときの衣笠幸夫(本木雅弘)の態度で、衣笠幸夫がどういう人間で、この夫婦はどういう関係かがすぐわかる。

・竹原ピストルが演じるトラック運転手のトーチャンが最高。勉強はできないけど心は真っ直ぐなトーチャンと、そんな父のようにだけはなりたくないと揺れる息子の心。科学館のシーンでの、父「ニンニク臭い息に気をつけなきゃいけないときだってあるだろ!」息子「二酸化炭素を減らすために木をたくさん植えるほうが大事なんだよ!」はとてもいい対比だった。

・全体的な是枝裕和感。特に子どもの撮り方。調べたら西川美和是枝裕和の弟子なんですね。

西川美和の描く「なにかが欠損している家族」は、是枝裕和の『誰も知らない』の家族を思わせます。「髪が伸びる」に二重の意味を持たせるのは、そういえば『誰も知らない』にもあった表現なのよね。

・あかりちゃん(竹原ピストルの娘役)が大声で「もろびとこぞりて」を歌うシーンと、竹原ピストルが事故るシーンのBGMが「もみの木」だったので、西川美和はクリスチャンか?と思ったけど真相不明。でも少なくとも中高はキリスト教の学校だったもよう。

・映画の中の四季がよい。

・「先生、奥さんが亡くなってからちゃんと泣きましたか?」というセリフの破壊力。

・とにかく映像と音楽が美しい。静かなシーンは静かに、妖艶なシーンは妖艶に、騒がしいシーンは騒がしく。

・自分の人生と向き合えていない、自己愛のカタマリ、幼稚な感情表現しかできない男が、世界と和解していく物語。サイコー!こういう映画が観たかった。

ジェンダー観。いい意味で「女性監督だから描けた」作品だと思う。

・衣笠幸夫は、真平くん(竹原ピストルの息子)に自分を重ね合わせるんですね。

・いつでもどこでも泣く父(竹原ピストル)、泣いたことを父に秘密にしてほしい息子、妻を亡くしても泣けない男(本木雅弘)。「ちゃんと泣ける人は強い」というメッセージ。

・「永い言い訳」=人生、なんですね。本木雅弘の人生は、妻を亡くし、その死に向き合えるようになるまで、ずっと「言い訳」をして生きてきた。調べたら英語版タイトルは「Long Excuse」だそうで、まさにエクスキューズ。「自分が自分の人生と真剣に向き合わなくていいエクスキューズ」をたくさんしながら生きている人、あなたのまわりにもいませんか?

・大宮(竹原ピストル)と真平くん(息子)のケンカのシーン。「お前はたくさん勉強して、そんな口をきく人間になるのか!(正確には覚えてないけど、だいたいこんな感じ)」というのも、この親子をよくあらわしていた。学歴社会批判もあるかも。

・小説家津村啓(衣笠幸夫=本木雅弘)がグーグルで自分の評判を調べてるのと、映画『何者』が描こうとした「ネット上における自意識過剰」は、本質的には同じものでないでしょうか。

・「妻が死ぬとかつての同級生から宗教勧誘の電話がかかってくる」というのがとてもリアルだなと思いました。

・物語はハッピーエンドです。

糸井重里さんと燃え殻さんがこの映画を絶賛していた。いいんだけど、『永い言い訳』を絶賛してる層を見るに、こんなものに共感してるから、「S沢さんは昭和生まれみたい」とか言われるんじゃなかろうか……。

・同じく、「固定電話の留守録機能(!)」の描写を共感しながら観れる若者ってどれくらいいるんでしょうか。

・ネット上での反応をみるに、余韻を長く引きずるタイプの映画であるようです。わたしも半日経ったけどまだ引きずってるし、何日も引きずってる人もいる。いい映画の条件ですね。

 

 ここ3ヶ月で『シン・ゴジラ』『君の名は。』『SCOOP!』『何者』を観たけれど、ここ最近で観た作品でこの作品がいちばん良かったです。

おばあちゃんの話

 わたしの父方のおばあちゃんの話をどこかに書いておきたいので、ここに書いておく。

 

 短大の2年生だった頃、わたしはよくひとりで父方のおばあちゃんの家に遊びに行っていた。マイブームみたいなものだったかもしれない。おばあちゃんは山梨県甲府盆地のあたりに住んでいて、新宿から中央線の特急電車に乗ったらすぐ着くし、父親も親孝行がしたいのかなんなのか(?)「おばあちゃんの家に行く」と言うと交通費をくれるので、気分転換みたいな感じでよく山梨に出かけていた。

 山梨に行くと、昼間は温泉に行ったり、おばあちゃんのお気に入りの団子屋さんまで出かけたりする(車で40分!)。夜はだいたいおばあちゃんの作った晩ごはんを食べて、テレビを観たりおしゃべりしたりして寝る、みたいなのんびりした時間を過ごす。車がないとどこへも行けない田舎なので、必然的に車に乗ってる時間が長くなる。その車の中や、おばあちゃんの家で、わたしはおばあちゃんと色んな話をした。

 

 その中で印象に残っている話がふたつある。

 

 おばあちゃんとおじいちゃんはお見合い結婚をした。おじいちゃんはわたしが2歳のときに死んでしまったので(「俺は酒とタバコを我慢するくらいなら、好きなだけ酒とタバコをやって早く死ぬ!」というタイプの人間で、その宣言通り早くに死んでしまったらしい)、わたしの記憶にはいないけれど、おばあちゃんの話を聞く限り、あまりいいおじいちゃんではなかったようだ。離婚したかったけど、自分には収入がないから離婚できなかった、という話を一度だけ聞いた。それ以上に、おばあちゃんは運転免許を取りたいとずっと思っていた。だけど、おじいちゃんが取ることを許してくれなかった。だからおばあちゃんは、おじいちゃんが死んだあとに、その遺産を使って60歳にして運転免許を取った。その話を聞いたときは、わたしのおばあちゃんはスーパーおばあちゃんだ、と思った。ちなみに、わたしのおばあちゃんは今でもスーパーおばあちゃんで、80を超えているのにガラケーを使いこなし孫とメールでやり取りする。

 

 もうひとつ、会うたびに毎回聞かされる話がある。それは、おばあちゃんにはお兄さんがふたりいて、そのお兄さんたちが「男の子だから」大学へ行くことができたのに、自分は「女の子だから」洋裁の専門学校にしか進学させてもらえなかった、という話だ。自分だって高等女学校で断トツの成績だった、お兄さんたちと比べて勉強ができないなんてことは絶対になかった、だけど「女の子だから」大学へ行かせてもらえなかった。

 おばあちゃんに限らず、人は何か、自分の努力が及ばない理由で「教育を受けることができなかった」という記憶があると、あとあとの人生までずっとそれを引きずるように思う。それは当然と言えば当然かもしれない。

 

 東京大学の大学院に合格したことをおばあちゃんにメールで報告したら、「長生きして良かった。こゆきなら絶対に大学の先生になれますよ」という返事がきた。父も母も妹も笑って流していたけれど、おばあちゃんの「女の子だから」の話を聞いていたわたしは、勝手だけれど、わたしが「女の子だけど」東京大学の大学院に合格したことが、おばあちゃんにとっては大きな意味があるんじゃないか、と思った。

 例えばわたしがどこかの大企業に就職したとしても、きっとおばあちゃんは喜んでくれるだろうけど、わたしが大学の先生になるほうが、おばあちゃんは何倍も喜んでくれる、わたしのおばあちゃんはそういう人だ、と私は思う。

 

 わたしは大学院で教育社会学を専攻する。大学院での専攻に教育社会学を選んだ理由の何分の一かは、おばあちゃんに繰り返し聞かされたこの話が心に残っていたということもあるかもしれない。女の子が男の子と同じように教育を受けることは、ちょっと前までは、決して「当たり前」ではなかった。おそらく今でも、わたしが、「女の子だから○○してはいけない」ということを、ほとんど言われずに育ったことは「幸運」だったと言えるくらい、日本には「女の子だから○○してはいけない」が根強く残っていると思う。おばあちゃんの話は時代錯誤な昔話ではないのだ。

 教育社会学の研究者になるということは、「自分は○○だから、教育を受けることができなかった」という何千何万人もの人の想いを背負って研究するということなのだ(もちろんそれだけではないけれど)。そのことを、強く心に刻んでおきたいと思う。

 

 …そして、久しぶりに山梨へ行きたいな。

大学院合格によせて

 無事に第一志望の大学院に合格しました。応援してくださったみなさま、ありがとうございました。とりわけ、4月~5月にわたしが病んでいたときに(「病み期」ってやつですね笑)ご飯に誘ったり遊びに連れ出してくれた方々に、あつくお礼申し上げます。

 わたしは、いま東京外大で中国の地域研究を専門にしているわけですが、なぜ教育社会学へ専攻を変更したのか、なぜ東大なのか、そのへんを中心に簡潔にブログを書きたいと思います。

 

なぜ教育社会学なのか?

 わたしは以前から研究者になることに対して強い憧れがありました。4月くらいまでは就活をしていたけれども、何年か社会人経験をしたら、必ず大学に戻って大学の先生になろうとそのときから考えていました。ですが、勉学に対する想いが強すぎて、就活のために授業を休むことすら苦痛で、就活を続けるうちに勉強を続けたい思いがどんどん強くなり、学部からまっすぐ大学院に進学することにしました。

 ですが、そこでひとつの壁にぶち当たりました。わたしは今、東京外大で中国(香港)の地域研究をしていますが、自分が外国の地域研究に向いているとはとても思えなかったのです。理由はふたつあります。第一に、東京外大の先生方を見ていて思うのですが、外国の地域研究というのは、自分が専門にしている地域に、日本に対するのと同じくらい、あるいは日本に対して以上の、情熱を持たないとできないと思います。わたしは、いま目の前の日本社会にこれだけたくさんの社会問題があるのに、日本から目をそらして外国の地域研究をすることはとてもできない、と思いました(もちろん、外国の地域研究は必要な研究だし、東京外大の先生方は本当に立派な方ばかりだと思います)。わたしは目の前の日本社会で起きている問題に真正面から取り組みたいと思いました。第二に、研究者としてのキャリアです。外国の地域研究をしている先生は、同時に語学の先生をしたり、外務省の専門調査員を経験されている方が多いと思いますが、わたしは自分が中国語の先生をしているところがまったく想像できないし、中国の大使館や領事館で働いている姿も想像できません。だから、自分の生きる道は外国の地域研究ではないな、と直感的に思いました。

 このまま東京外大の大学院に進学することはできないことがわかった時点で、では自分が真に興味がある分野はなんだろう?ということを考え始めました。そこで出会ったのが教育社会学でした。わたしは転勤族だったので、幼い頃から、シンガポール人学校、日本の公立小学校、外国の日本人学校、私立の女子中学校、イギリス人学校など、様々な学校に通ってきました。そして、日本に帰って来てからも、なぜか(笑)三つもの大学に通いました。不登校も経験したし、日本と外国の教育制度の違いに苦しめられもしました。したがって、教育と社会を語る自分のカードがたくさんあったのです。それで、自分が生きていく道は教育社会学の研究者だ!と確信しました。

 

なぜ東大なのか

 この問いは割とシンプルで、教育社会学の研究をするのに東大よりも恵まれた環境はないからです。教育社会学の研究者になることは決めていて、さらに修士のあと博士まで進学することを決めていたので⑴家から通える範囲で、⑵教育社会学が勉強できる、⑶国公立大学に進学しようと決めていました。幸い、第一志望の東京大学に合格することができました。

 

大学院入試から学んだこと

 最後に、この夏を通して考えていたことを書こうと思います。大学院には進学したいけども、今の専攻は自分が研究したい分野じゃない、専攻を変更しなければ!と思った時点で、わざと留年して卒業を1年のばそうかという考えも頭をよぎりました。専攻を変更するには、それなりに勉強しなければならないと思ったからです。

 ですが、ギリギリまで悩んで、結局願書の〆切の3日前になって今年受験することを決意しました。それは、「自分は逃げなかった」という記憶が欲しかったからだと思います。

 わたしの今まで生きてきた中での経験則ですが、なにか重大な決断を先延ばしにしたり、逃げたりサボったりすると、あとで必ずそのツケを支払わされる仕組みになっているように思います。逆に言えば、逃げたりサボったりさえしなければ、常に目の前のことに全力で取り組んでさえいれば、必ず何かしらの道が開けるとわたしは思います。たとえ玉砕してもいいから、とにかく今年できるだけの勉強をして大学院を受験してみよう、そんな気持ちで大学院入試に出願しました。

 というわけで、楽しそうな同級生たちをSNS越しに見ながら、海にも山にも行かず、旅行にも行かずBBQもせず、家の近所で行われる多摩川花火大会さえその音を聞きながら勉強して(マジです笑)、ひと夏ほぼ引きこもり状態で勉強していたわけですが、第一志望に受かったのですべて良しです。

 

「大学院は受かってからが茨の道」だと思っています。まだスタートラインに立ったにすぎませんが、その時々に自分ができる全力を尽くしていれば必ずなにかしらの道は開けると信じて、これからも文字通り日々尽力してまいりたいと思います。

毒親ってなんだろう

 最近、ネット上で「毒親」関連のコンテンツをよく見かける気がします。その多くのものは、毒親のもとで幼少期を送った人が自分自身の経験をブログやマンガで発信する、というものです。わたし自身も「毒親育ち」との自覚があり、そういったコンテンツはついつい読み入ってしまいます。

「毒親」関連のコンテンツはたくさんありますが、ここではひとつだけ紹介しておきます。この「毒親告白に対する反応例」は、多くの毒親育ちの人が共感するところではないでしょうか。

 

 その一方で、最近はこんなことも考えます。毒親の定義ってなんだろう?

「毒親」という言葉を最初に使った人はスーザン・フォワードという人だと言われています。彼女の著書『毒になる親』が由来だそうです。

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

 

 最初に断っておきます。わたしはこの本をまだ読んでいません(笑)。いつか読みたいと思っているけれど、今のところは読む時間が取れません。

 問題の提唱者の原典にも当たらずに問題を論じるなんて、アカデミズムの世界では許されない行為ですが、ここはブログなので大目に見ていただくとして、わたし自身の経験や、わたしの身の回りの事例から「毒親の定義」を考えてみたいと思います。

 

「毒親」経験の中身は、実に様々です。親が子どもに暴力をふるう、という例はわかりやすいですが、そんな明らかなケースはそれほど多くないように思います。それよりも圧倒的に多いのが、親がその言動によって子どもを精神的にジワジワと追い詰める、というケースです。

 メンタルを追い詰める系の「毒親」にも、どうやらいろんなパターンがあるようです。親自身が何かの精神障がいや発達障がいを抱えているパターンや親自身も虐待されて育ったパターン。親が(カルト)宗教やギャンブルにハマっているパターン。ある特定の(あるいはあまりに古い)価値観を押し付けてくるパターン。過干渉してくるパターン。そうではなくて、兄弟の間で明らかに扱いが異なる(お姉ちゃんばっかり優遇するとか)や、夫婦間に問題があり子どもがそのスケープゴートになっているパターン、等々、具体例を挙げればキリがないと思います。(なお、精神障がいや発達障がいを持った親が毒親になり得るという話は、彼らが悪であることを意味しません。念のため。)

 

 しかし、ここからがこのブログの本題なのですが、「毒」というのは裏を返せば「薬」でもある――という言葉の通り、「毒親」に分類されるものも、ある場面では、あるいはある人物にとっては、薬になる、と思うのです。

 結論を急がないでください。だからってあなたの毒親体験が「なかったこと」になるわけではありません。むしろ、「毒親」が定義不可能だからこそ、わたしは「毒親」に対して最もラディカルな定義を提唱したい――というのがこのブログの狙いです。これについては後述します。

 

 まずはわたし自身の経験について書きます。わたしは、長く自分の親が毒親だと思ってきました。実際、母や父の言葉に深く傷ついたし、成人になる前に精神安定剤の手放せない身体になりました。ずっと父と母のことが大嫌いでした。

 そんな親とわたしの確執を、ある程度まで解消させてくれたのは、ハタチのときに付き合ったボーイフレンドでした。わたしが付き合ったボーイフレンドは、「今どきこんな考え方の人がまだいたのか!」というほどの保守的な、家父長的な世界観――家族の中では父親がいちばん偉くて、兄弟の中では長男がいちばん偉くて、親は弟が兄を(妹が姉を)尊敬するように育てるのが正しい育て方である――というような、「三丁目の夕日」的な世界観の中で生きている人でした。

 彼が強固な「家族はこうあるべきだ」像を示してくれたおかげで、わたしは自分の家族を客観的に見ることができるようになったし、自分の家族のどこがおかしいか気づくことができた。わたしの家族問題の解決はそこから始まったのです。

 でも、保守家族観って、毒になるパターンもあると思いませんか?「ウチの親はなんて考え方が古いんだろう」と「ウチの親は正しい家族の在り方を教えてくれた」はこの場合はコインの表と裏で、わたしのボーイフレンドはたまたま後者だったにすぎません。

 これは「宗教」や「過干渉」についても言えるのではないでしょうか?例えばへヴィーなクリスチャンの家庭に生まれた場合、その事実を呪う人もいれば、自身もキリスト教を深く信仰するようになる人もいるでしょう。あるいは過干渉も、「ウチの親はなんでも口出ししてきてウザイ!」と、「ウチのママは就職でも恋愛でもなんでも相談に乗ってくれて、親子というより友だちみたいなの」というのはコインの表と裏です。基本的に、ある人にとっては毒になり、ある人にとってはならない、ということに過ぎないように思います。(なお、程度の問題もありますし、あるいは関わり方の問題もあるかもしれません。また、毒親にならなかった場合でも、それが「良い」か「悪い」かは、心理学の本などで調べてください。わたしの少ない知識をここで書くのは控えます。)

 このようにひも解いて行くと、「毒親」というのは、その内容においては定義不可能のように思えるのです。

 

「実際に家で起きた現象」によって「毒親」を定義しようと試みる人もいます。「そうは言っても、月に1回警察騒ぎになるわたしの家が普通だとは思えない」とか「弟が3回も自殺未遂しているウチの親はやっぱり問題がある」というものです。

 でも「実際に家に起きた現象」で定義しようとすると、必ず、「いや、ウチは他の毒親家庭よりはマシなのかな…?」との思いがわいてきます。そして、「質」で比べ始めると、だいたい「極論」に行きつきます。わたしは、毒親メンタル失調の最底辺のひとつが、セックスワークに吸収されていく女性たちであるように思います。

 貧困に陥った若者を多く取材しているルポライターの鈴木大介氏は、貧困は「3つの無縁と3つの障がい」によって起こると言います。3つの無縁とは、「家族との無縁、地域との無縁、制度との無縁」、3つの障がいとは、「知的障害精神障害発達障害」です。そして、女性がその結果セックスワークに吸収されていく様子を彼のルポルタージュは描いています。

最貧困女子 (幻冬舎新書)

最貧困女子 (幻冬舎新書)

 

 

「ウチの親は人格否定の言葉は吐くけど、カルト宗教にハマってる親よりはマシか」とか、「わたしの親は暴力はふるうけど、家に経済的余裕があるだけマシか」などといった考察は(本人にその余裕がある場合は良いけれど、その余裕が出てくるのは確執を解決してからだいぶあとのことなので)、しばしば「毒親家庭の中では相対的に恵まれているのに、それごときのことで心を病んでる弱い自分」として、自分を責める動機になります。毒親育ちの子どもがそんなふうに自分を責めることは百害あって一利なしです。

 

 世の中でいちばん残酷なことってなんでしょうか。

 わたしは「そこにある痛みを無いことにする」ことだと思います。

 例えば上に貼ったツイートのように、毒親告白に対して「考えすぎではないのか」とコメントする。あるいは、ある苦労をしている人に対して、「もっと苦労している人もいるのだから」とコメントする。あるいは、さっきも書いたように「暴力はふるうけど、経済的には困ってないから…」と言って、自分の心の痛みを過小評価する。

「そこにある痛みを無いことにする」例をもうひとつあげます。

 それは、「経済的に苦労したことが無い人は何を言っても甘え」というような圧力です。心を病んで精神科に何年も通院している人に対して、「アルバイトでもして経済的にもっと苦労したら、うつ病なんか治るのではないか」と言い放つ人がいます。これも、「そこにある痛みを無いことにする」例だと思うのです。「毒親」家庭が必ず経済的にも困窮しているなんて法則はありません。お金は稼ぐけどヒドイ親、というのはいくらでもいます。

 

 では、「毒親」は如何にして定義可能か。

 わたしは、「子どもが毒だと思ったら毒親」という定義しかないように思うのです。

 同じ状況でも、毒にも薬にもなり得ることは、すでに検証しました。また、その「質」で比べると「極論」に行きつくことも検証しました。そして、「そこにある痛みを無いことにする残酷」を避けようとするならば、この定義を採用するしかないと思うのです。

 あなた自身が、あなたの心が親によって傷つけられたと思うなら、その親は「毒親」です。

 この定義も多くの問題を孕むでしょう。でもまずは、自分は傷ついているんだと認めてあげてください。そして、今日まで一生懸命生きてきた自分を褒めてあげてください。他の人のことを考えるのは、そのあとです。

 

「そこにある痛みを無いことにする残酷」についての、鈴木大介氏のツイートを貼ってこのエントリを締めくくろうと思います。

 

 

 

 

 この世の中でいちばん残酷なことは、そこにある痛みを「無いこと」にすること――これはわたしが繰り返し考えてきたテーマであるし、生涯を通して考えていくテーマだと思います。