青色の空に神様がきた

Twitterの140字では書ききれないあれこれを。ブログに述べられている考察は、あくまで筆者のブログ執筆当時の考えであり、当然ながら日々勉強したり議論したりする中で考えが変わることもあります。また、このブログはいち大学院生の個人ブログであり、いかなる機関の公的見解を示すものでもありません。

わかりにくい痛み

RADWIMPSが「震災から7年」をモチーフにした新曲「空窓(そらまど)」を公開していた。主に震災のせいで住み慣れた町を離れなければならなかった人に対して、「その後どうしていますか?」と問いかける曲だ。曲はYouTubeで聴ける(歌詞もついている)。RADWIMPSの公式サイトにはヴォーカル洋次郎からのコメントが載っている。


空窓 RADWIMPS

ヴォーカル洋次郎からのコメント

http://radwimps.jp/wimps_repo/

 

私は震災で住み慣れた土地を奪われた人間ではないのに、この曲を聴いて胸がしめつけられるような想いがしてしまって、その原因に心当たりがあったので、今日はそのことについて書いてみようと思う。

 

私は転勤族の家に育った。小さい頃から住んだ順に言うと、旭川、札幌、東京、香港、東京、ジャカルタインドネシア)、東京、北京、東京、北京、東京。この時点で17歳。平均すると、ひとつの土地に1年6ヶ月しか住んでいなかったことになる。

頻繁に思うのだが、例えば「震災のせいで住み慣れた町を離れることを余儀なくされて、東北から東京の小学校に転校した」として、その場合は多くの人が「(移動を余儀なくされて)かわいそう」であることに同意してくれるのに、「父親が外国で仕事をすることになったので、父に連れ立って海外に引っ越した」ケースについて「かわいそう」だと思ってくれる人は少数派だし、むしろ羨望の眼差しを向けられることも多い(「駐妻」だとかなんだとかいう言葉が流行って、私はとても不愉快だった)。もちろん、震災のせいで移動することと、転勤で移動することには異なる点がいくつもある。経済的困窮度だって違うだろうし、心の準備のために与えられる期間だって違う。でも、家計について(経済的なことを)考えることをまだ免除されている年頃の子どもの立場に立ったときに、「震災のせいで移動すること」と「父親の仕事のせいで移動すること」にどこまで質的な違いがあるだろうか?

ある日突然移動を告げられること、その決定が自分の意志では絶対に覆らないこと、自分が移動を望んだわけではないこと、自分が時間をかけて築いた人間関係が一瞬にしてすべて奪われてしまうこと(ましてやフェイスブックもなかった時代に)、住居が変わり,土地勘のない場所に行くこと、転校生いじめにあうこと、そして新しい文化に「慣れる」ことを強制されること。これらはすべて、震災のせいだろうが、父親の仕事のためだろうが、移動を強制されれば同じことが起こる。あえて意地悪な言い方をするならば、東北から東京への移動なんて、言葉が通じるだけまだ良くないですか?

私が頻繁に移動しなければならなかった背景には、私の家に固有の問題もある。私には香港人の母がいる。母親がどこの国の人であってもそうだが、仮に父親が会社から移動を命じられたときに、「単身赴任」という選択をしたとすると、元の土地に残された母親と子どもは「経済的に困窮していないシングルマザー」状態になる。つまり、金銭に関わること以外のすべてのことーー主に子どものケア役割をーーを母親がひとりで引き受けることになる。私の母は、異国の地(日本)でひとりで子育てする自信がなかったのだろう。父がどこへ移動しようと絶対について行った。私は母を責めるつもりはもちろんない。「ふたりの子どものケア役割をひとりで引き受け(ワンオペ育児で)」「外国人に冷たい日本の社会で」「マイノリティとして」生きることがどれほど大変か、今ならわかるからだ。むしろ責められるべきは、ワークライフバランスを完全無視した人事異動を命じるような、日本企業の体質だろう。

 

卒業して1年以上経った今だから言えるけれど、私は東京外大にはとうとう馴染めなかった。その理由のひとつが、悲観的なもの言いが許されるならば、私は自分が「父親の自己実現のために犠牲になった」(「海外で仕事をして、自分が外国でも通用する人間であるか確かめたい」と言う父の野望を叶えるために、家族である私の人生はめちゃくちゃになった)と思っているからだろう。そして、東京外大に通い目をキラキラさせて「海外で仕事したいですっ!」と言うような圧倒的多数の外大生は、私の父と同じ轍を踏む人間であると思うからだ(補足だが、私の父は東京外大卒ではない)。

私の今に続くメンタル不調の発端は、高校生のときに中国の田舎で食中毒で死にかけPTSDになったことだ。もちろんそれがなくったって別のきっかけでメンヘラになったかもしれないけれど、少なくとも中学受験して入った私立の女子校を私はすごく気に入っていたし、中国の高校に行かなければ「食中毒で死にかける」という出来事は起こらなかった。父が自分の自己実現より、私がその女子校に通い続けることを優先してくれれば、あるいは母が異国の地でひとりで子育てすることに同意してくれれば(それはそれで大変そうだけれど)、私はこんなに苦しむことはなかったのに、とどうしても思ってしまうのだ。

東京外大に居た頃に、「外国にルーツを持つ子どもに、勉強を教えるボランティアをしませんか」と言う誘いをよく見かけた。外大生の得意技である外国語を活かして、(主に日本語が不自由であるせいで)学習に不利を抱えている子どものサポートをしようという趣旨のものだった。「外国にルーツを持つ子ども」???その言い方が許されるのならば、中国に住んでいた頃の私は「外国(日本)にルーツを持つ子ども」だったのでは??誰も私を助けようとしてくれなかったけど??むしろ「若いうちから外国語を身につけられていいねえ」くらいにしか思われてなかったけど????

似たような話をもうひとつしよう。むかしNHKのドキュメンタリーで、在日ブラジル人の親(両親のどちらか、あるいは両方がブラジル人)を持つ子どもが、子どもは日本語しかできない、親は日本語が不自由、という状態の中で親子の間でコミュニケーション不全が起き、子どもの発達に支障をきたしているので、ポルトガル語と日本語の両方ができるカウンセラーが親子支援をしている、というような特集番組を見た。その番組を観たときの私の率直な感想は「羨ましい」だった。「在日ブラジル人」というような、ある程度存在の認知されたマイノリティであれば、カウンセラーが介入してくれることもあるけれど、「国際結婚」で「自発的に」親子で言語が違うという状況を選んだ人たちは、支援の対象にならないのだ。「親子で言語が違うせいで、コミュニケーション不全が生まれている」という状況は同じであるにも関わらず。繰り返し述べているが、その状況を「自発的に」「選んだ」のは「親」であって、「親子で言語が違うせいで、コミュニケーション不全が起き、そのせいで発達に支障をきたしている」という状況を被ってる子どもに「親が」「選んだ」かどうかは関係ないのだ。

 

ずいぶん後ろ向きなことを書いたけれど、私は自分の人生をネガティヴなことばかりだと思っているわけではない。たくさんの移動を経験したことも、マイノリティとして生まれたことも、すべて今の大学院での学びのモチベーションになっているから、今となっては糧となる出来事だ。

でも、私が主張したいのは、「親の海外転勤」だろうが「震災のせい」だろうが、子どもにとって「移動の有無を選べなかった」ということは同じなのに、前者の痛みは(恵まれている側面ばっかりに焦点が当てられて)ないことにされて、「親の海外転勤」だろうが「外国にルーツを持つ子ども」だろうが「母語でない学校に通っているせいで学習に不利を抱えている」ことは同じなのに、前者は「自発的に」「(親が)選んだ」という理由で放置されて、「国際結婚」だろうが「移民」だろうが「親子で言語が違うせいでコミュニケーション不全が起きている」ことは同じなのに、前者はやっぱり「自発的に」「選んだ」からないことにされることの残酷さだ(繰り返すが、「選んだ」のは「親」であって「本人」ではない)。

 

むかしよく言っていたけれど、例えば「お金がないがないという不幸」は「わかりやすい」。「自分は貧乏苦学生なんです」と言えば、少なくない人数の人が同情を示すか、少なくとも痛みを頭ごなしに否定されることは少ない。でも、それが「毒親」だとか「性暴力被害」だとかいう「わかりにくい不幸」になった途端、その痛みは「世間」の「圧倒的な力」で「なかったこと」にされてしまう。「わかりやすい痛み」の影に隠れた「わかりにくい痛み」を抱えたたくさんの人たちに、このブログを読んだ人だけでも想いを馳せてくれたら、と思う。